ミシェル・フーコーの代表作の一つ『監獄の誕生 監視と処罰』(1975年、田村淑氏訳、新潮社、1977年、以下『監視と処罰』と略記)を読んだ。『監視と処罰』を読むのは今回が初めてかとおもっていたら、巻末に1992年読了と自分の書き込みがあった。なので今回が2読目ということになるが、どうも以前読んだ印象が薄い。内容をうまく把握しそこねていたのだろう。

はじめに本書のタイトルについて書いておく。本書の仏語原題は『Surveiller et Punir――Naissance de la prison』で、巻末の覚書で訳者・田村氏は、これを『監視すること、および処罰することーー監獄の誕生』と訳している。経緯は不明だが、邦訳ではそれが逆転して『監獄の誕生――監視と処罰』とされているため、タイトルと作品の内容で齟齬が生じている。つまり本書では、いつどのようにして監獄が誕生したのかといった<監獄の誕生>の経緯にはほとんど触れられていない。あえて忖度すれば、監獄は社会と同時に、あるいは権力と同時に誕生したというのがフーコーの考えではないだろうか。したがって古典主義時代の刑罰から語りおこす本書では、監獄は社会のなかにすでに存在していたものとされ、もっぱら権力による社会の監視の変遷について詳説されて、<監視>こそが権力の本質であると述べられることになる(その代表的な例が、本書によって有名になったベンサム考案の<パノプティコン(一望監視システム)>だ)。
もう少し内容に即してみていこう。
本書は四部に分けられ、順に「身体刑」「処罰」「規律・訓練」「監獄」となる。
前半の「身体刑」と「処罰」の内容は比較的判りやすく、大きくフランス革命以前とナポレオン登場以降に分けて考察されている。つまり、18世紀までの刑罰とは、社会に対する<見せしめ>であり、死刑、追放、入墨、鞭打ちなど、公衆の目の前で犯罪者の身体に直接手を下すものがほとんどだった。また死刑にしても、犯罪者に対する見せしめの意味があったので、罪の種類に応じて車割き、火刑、斬首、絞首など執行方法が細かく規定されていたとされる。
後半の「規律・訓練」と「監獄」では、フーコーは19世紀以降、処罰に対する考え方がどのように変わっていったかを述べるが、身体刑や公開処刑がしだいに消え、それに応じて<閉じ込め>の重要性が増してくる。したがってある意味では、これが<監獄の誕生>ということになるのだろう。
「法にとって拘禁は、自由の剝奪となりうるものである。拘禁を確実におこなう投獄は技術上の計画をつねに含んできた」(第四部「監獄」~<違法行為と非行性>、本書257頁)。しかし、「華々しい儀礼で彩られ、苦痛の儀式と混じりあう技法をもつ身体刑から、堂々たる建物の奥に隠された秘密裡の行政監督措置によって守られる監獄刑への移行は、未分化で抽象的で混乱した刑罰制度への移行ではない」(第四部「監獄」~<違法行為と非行性>、本書257頁)と註記される。
そうした閉じ込めは、残酷な身体刑に変るものとして犯した罪に応じて犯罪者を幽閉するというだけではなく、監獄に閉じ込めることによって幽閉された者に規律を教え込み、犯罪者を訓練するという性格をもたされるようになる。そしてこの考え方はより広く社会に適用され、犯罪と言えないまでも社会的な規律に反したものを監視施設に収容し、そこで規律を与え、訓練するというというシステムが成立してくる。
「閉じ込め、司法上の懲罰、規律・訓練の制度、それらのあいだの境界はすでに古典主義時代には明確でなくなっていたが、今やその境界は消えさって行刑技術を規律・訓練の施設のなかでも最も悪意のない施設にまで普及させる大いなる監禁連続体が組立てられようとし、規律・訓練面の諸規格は刑罰制度の核心に伝えられ、どんなに些細な違法行為でも、どんなに僅かな不正でも、逸脱や異常もが非行性ではないかと恐れられる。精緻だがぼかされた監視網は、緊密に構成された制度施設によってのみならず細分され拡散した方式によって、古典主義時代の、不充分にしか統合されず恣意的で多量な閉じ込めの肩がわりをつとめたわけである」(第四部「監獄」~<監禁的なるもの>、本書297~8頁)
そしてそこから、社会もしくは権力の本質は何かというフーコーの分析が始まる。
「監禁があまねく存在する骨組となっているこの一望監視的な社会にあっては、非行者は無法者ではなく、すでにことの発端からしても、法の内部に、法の中心そのものに、あるいは少なくとも、規律・訓練から法律へ、逸脱から法律違反へ人々を無自覚に導く例の機構のまんなかに位置している。監獄が非行性を罰するのは真実ではあるが、本質的には非行性は、今度は監獄によって究極的にくりかえされる監禁のなかで、監禁によって作り出される。」(第四部「監獄」~<監禁的なるもの>、本書301頁)
「現代社会は見世物の社会ではなく監視の社会である。さまざまな形象の表面のかげで、われわれの身体は深部において攻囲される。大規模な抽象作用たる交換の背後では、役に立つ力を求める、精密で具体的な訓育が追及され、精密伝達の経路は、知の累積および集中化の支えであり、記号の働きは、権力の投錨にも等しい固定化を決める。個人の美わしき全体性は、現代の社会秩序が切断手術を加えたり抑圧したり変質させたりはしていないが、その社会秩序において個人は、力と身体にかんする一つの戦術にもとづき注意深く造りあげられている。われわれがそう思うよりもはるかに、われわれはギリシア的ではない。われわれの居場所は、円形劇場の階段座席でも舞台の上でもなく、一望監視の仕掛のなかであり、しかもわれわれがその歯車の一つであるがゆえに、われわれ自身が導くその仕掛の権力効果によって、われわれは攻囲されたままである。」(第三部「規律・訓練」~<一望監視方式>、本書217頁)
「刑罰制度の図々しさの背後に何が隠されているかを、多分やはり探求する必要があるにちがいない。われわれはそこに{刑罰制度の}一つの矛盾をよりも一つの結果を見ることはできないか。だとすれば次のように想定する必要があろう、監獄は、しかも一般的には多分、懲罰というものは法律違反を除去する役目ではなく、むしろそれらを区別し配分し活用する役目を与えられていると、しかも法律に違反するおそれのある者を従順にすることをそれほど目標にするわけではなく、服従強制の一般的な戦術のなかに法律への違反を計画的に配置しようと企てているのだと。だとすれば刑罰制度とは、違法行為を管理し、不法行為の黙許の限界を示し、ある者には自由な行動の余地を与え、他の者には圧力をかけ、一部の人間を排除し、他の人間を役立たせ、ある人々を無力にし、別の人々から利益を引出す、そうした方法だといえるだろう」(第四部「監獄」~<違法行為と非行性>、本書270~1頁)
社会が異分子を監視し、閉じ込めようとしたシステム、いやそうしたシステムの形でしかみずからを提示できない社会こそが糾弾されなくてはならないのだ。巻末の覚書のなかで田村氏も指摘しているが、そうした異分子の一人として、フーコーは1840年の『裁判新報』に掲載されているベアスという若者と裁判長のやり取りを紹介している(本書287頁)。ベアスは、居所が定まらず、家族がなく、放浪罪の嫌疑をかけられ、二年間の懲治矯正を宣告されたという事実以外はいっさい不明の13歳の少年だが、「いつまでも放浪生活をするのかね」と問う(糾弾する)裁判長に対して、「生活を立てるために働いている」とこたえる。このやり取りこそ、本書『監視と処罰』の白眉と言えるだろう。