本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

『ヴェネツィアの歴史 共和国の残照』を読む

ヴェネツィアの歴史 共和国の残照』(永井三明、刀水書房、2004年)を読んだ。タイトルのとおり、697年の誕生から1797年の滅亡まで、ヴェネツィア共和国の11世紀の歴史を描いた作品だ。

ヴェネツィアの社会相が詳細に描かれている

とはいえ、この作品は、時間を追いながら各時代を均等に描いた通常の歴史書ではない。全体は、第一部「草創期より16・17世紀へ」、第二部「夕映えのヴェネツィア共和国――18世紀」の二部構成になっており、18世紀ヴェネツィアの社会相紹介に重点が置かれている。

それはともかく、ヴェネツィアは東地中海の海上貿易に立脚した商業国家であり、長い間、東地中海地域の政治動向に盛衰を左右されてきた。一般的には、オスマン・トルコがビザンチン帝国を滅ぼし、それに続いて南アフリカ回りでインドに達する新航路が開拓された時期がヴェネツィア史の転換点とされるが、永井氏は、それらによってヴェネツィアの交易は一時的に阻害され、打撃をこうむったものの、致命傷とはならなかったとする。

まずオスマン・トルコとの影響だが、「トルコの進出は地中海貿易の破壊をもたらしたという考えは、ヨーロッパの歴史家の伝統的な偏見で、事実上の被害を分析することなしに古い宗教上の敵にイタリア、とくにヴェネツィア没落の責任を負わすものといわねばならなす。(中略)トルコはヨーロッパに対してその経済活動を遮断する必要はなく、むしろ東洋と西洋との間に立って貿易仲介の利益にあずかることを目的とした。たしかに、トルコはキプロス島をめぐってヴェネツィアと争ったが、そのためにヴェネツィアとの通商を中断することはなかった。イスラム教徒もキリスト教徒も商業上の利益では一致していた。(中略)両国の関係は、軍事と経済とは別々のひき出しに収められていた」(本書50頁)。

一方、喜望峰回りの新航路の影響について、永井氏は次のように記している。

ポルトガル喜望峰まわりでインドに達したという情報がヴェネツィアに衝撃をもたらし、数年を経ずにその貿易量は4分の1に落ち、それが1530年代までつづいた。インドとヨーロッパの仲介貿易の独占による想像を絶する利益をヴェネツィアは手放さざるをえなくなったが、それは永続的なものではない。ポルトガルによるインド航路の発見については、ほとんど幻想的ともいえるような先入観が存在してきた。(中略)なぜなら、現代からすれば思いも及ばぬ死と隣り合わせの大航海の辛苦、難破時の高価な積荷の海没による破滅的な打撃、インド洋海域での常備武装船隊の配置と海上軍常備の負担などによる国庫の異常出費は当然のことながら、さらに出先官憲の深刻な腐敗によって東洋の物産は本国に運ばれずに、アレクサンドリア横流しされる事例が多すぎた。(中略)したがってポルトガルは少数の大胆な個人と契約してインド貿易を委託するに至った。インド航路の危険を回避しようとすれば、旧来の紅海・地中海経由の香料貿易が自然に復活の道を歩むことになるだろう」(本書41頁)。

加えてヴェネツィアにとって幸運だったのは、ヴェネツィアは北イタリア及びドイツという後背地をもっており、それらの大きな市場が東洋からの物品を欲するかぎり、地中海情勢にかかわりなく繁栄を続けることができた。

この状況は18世紀になっても基本的に維持されるが、17世紀~18世紀にかけて、ヴェネツィアは貿易都市から観光都市に静かに転換していき、それが最後の華やかさを現出させる。

「思えば、16世紀から17世紀にかけてのヴェネツィア共和国の歴史は苦闘の連続だった。(中略)疲れはてて18世紀に辿りついたヴェネツィアを待っていたのは、一応の社会の平静化、国際問題の鎮静であり、その中で愉悦の時さえも迎え、女性の表情にも明るさがみとめられた。(中略)しかし、このやっと一息いれることのできるような時代は同時に滅亡への急転直下の時代だった。束の間の安穏は滅亡に繋がる。啓蒙主義の時代に入ったフランスで何が起ころうと、多くの人びとには関知するところではなかった。現在に一応の満足を感じる人間は将来への備えを怠りがちである。その上、ヴェネツィアの社会階級――貴族、市民、民衆――はそれほど先鋭な対立をかもし出していなかった。このことが、危急の秋に、無能で姑息の貴族階級を押しのけて、他の階級が自己を主張して国家を救うというドラマ成立の芽をつんでしまった」(本書263頁)。

1797年4月、ナポレオンの軍隊が迫りヴェネツィア議会を威嚇すると、その議員である貴族の大半はあっさりと国家の滅亡を認め、ヴェネツィア共和国はなんの抵抗もなしに終焉を迎える。繁栄と平安のなかで、なにゆえヴェネツィアはみずから共和国の歴史に幕を引いたのか、それが永井氏が提示するヴェネツィア史の最大の疑問点といえるだろう。

史書としてのバランスは必ずしも良くないと思うが、全体をとおして、著者・永井氏のヴェネツィアに対する愛が感じられる作品だった。