阿川弘之の『米内光政』(新潮文庫、1982年)を読んだ。昭和10年代に内閣総理大臣、海軍大臣を歴任した米内光政(明治13年<1880年>~昭和23年<1948年>)の伝記だ。
この本を読んだのは、このところ数カ月『精神について』と『ポーランド問題について』の校正が続いて、他の本はまったく読んでおらず、少しくたびれてきたので、これらとまったく関係のない本を読みたいと思いながらネットをふらふらしていたら、たまたまこの本にぶつかったという、かなり安易なことがきっかけ。これまで私は阿川の本を1冊も読んだことがなく、また恥ずかしいことに米内の名前もしらなかったので(はじめずっと、ヨネウチと読むと思っていたくらい)、終戦工作に尽力した人物というが、どのような功績があったのか知りたいというくらいの軽い気持ちで読み始めた。
米内をご存知の方には改めて書くまでもないのだが、彼は、昭和12年に海軍大臣に就任、昭和15年に内閣総理大臣に就任、第二次世界大戦末期の昭和19年に二度目の海軍大臣に就任。戦後海軍が解体されるまで海軍大臣をつとめた。海軍大臣、総理大臣としての米内の功績は、日独伊同盟と開戦に反対し、昭和19年の海軍大臣再任以降は、終戦工作を行い、終戦を実現したということ。どのような考えをもって、彼が大臣の職務に臨んだかが、この伝記のポイントだ。
阿川によれば、そもそも旧海軍の上層部には「Fleet in being(存在することに意味のある艦隊、こんにち流に言えば抑止力としての艦隊)という英国伝来の思想が比較的広く存在していた」(同書19頁)というが、「どんな場合にも勇気と明察とを以てその『識見』を堅持しえたか、時流に幻惑されて眼鏡をくもらせたり、自身の名利にとらわれて首鼠両端の態度をとったりしなかったかということになると、話が別」(同前)であり、米内はそれが出来た数少ない海軍軍人の一人であり、だからこそ終戦工作への最適任者だったということになる。
以下、阿川の著作から、米内の発言をいくつか引用・紹介する。まずは、昭和14年2月海軍大臣当時の衆議院予算委員会での答弁をひく。
「軍備は必要の最小限度にとどめるべきでありまして、出来ないことを要求するものではないと思います。海軍としては狭義国防の観点から相当の考えは持っておりますが、軍備ばかり充分に出来ましても、その他のことが死んでしまっては国は滅びると思います」(同書276頁)。
この答弁に、新聞は大喜びしたが、「陸軍省参謀本部では、多くの者が渋い顔をした」(同書278頁)という。
同年8月、独ソ不可侵条約締結発表後の混乱などにともなう内閣総辞職で米内は海軍大臣を退くが、同年9月にドイツがポーランドに侵攻し(第二次世界大戦開始)、世界情勢が緊迫するなかで、昭和15年1月、天皇の意向で米内は内閣総理大臣に任命される。これには、陸軍を抑えて開戦を阻止したいという考えがあったようだ。総理としての米内の見解も、「欧州動乱かね、自分はこれは永びくと思ふ。だが我国としては特別の事情が起きない限り、依然不介入の立場をつづけて行くに変わりはない」(同書325頁)というものだった。しかし、ドイツ追随に走る陸軍の抵抗と不協力を抑えることに失敗し、同年7月総理大臣を辞する。半年の短命内閣で、阿川は、「歴史に残るような決定を何もしなかったという意味では、無為無策、ウドの大木が倒れた感じが世間にあったであろう」(同書342頁)と辛口に評する。時局が悪かったのか、米内自身が非力だったのか、米内内閣の評価は難しいところであろう。いずれにしても、米内が首相を退いた翌9月、近衛内閣のもとで日本は日独伊三国軍事同盟を結び、翌年12月アメリカとの戦争に突入する。
総理大臣を辞した後の米内は、公務を離れて隠居のような形だったが、日本の敗色が濃くなった昭和19年7月、東条内閣を引き継いだ小磯内閣で、副首相格で海軍大臣に再任される。重臣会議の意向は、小磯・米内の主導で戦争を終結させることだったと阿川は記している。
その後、いくつかの紆余曲折を経ながら、日本が無条件降伏を受け入れたのは周知のとおり。ポツダム宣言受諾を決める御前会議の前に当時の鈴木首相に「多数決で結論を出してはいけません。きわどい多数決で決定が下されると、必ず陸軍が騒ぎ出します。その騒ぎは死にもの狂いだから、どんな大事にならぬとも限りません。決を採らずにそれぞれの意見を述べさせ、その上で聖断を仰ぎ、御聖断を以て会議の結論とするのが上策」(同書518頁)と進言したのは米内だった。
無口で逸話の少ない人なので、阿川も米内の人物描写には苦労したと思うが、腹が座った人物として阿川が米内を高く評価していることは、記述の端々からうかがえる。また政治とは直接関係がないかもしれないが、戦中・戦後の食糧事情が厳しい時代、名声や地位を使って闇の食糧を入手せず、配給される食糧に甘んじていた(同書430頁等)というのも、高潔な米内の人柄を示すエピソードとして重要だろう。
第二次世界大戦に対する海軍のスタンスなどを知ることができ、私にとっては有意義な本だった。