書籍の校正を仕事にしている友人から、ポーランド問題に関する私の翻訳の校正が戻ってきたので、一週間前から、その校正をテクストに反映させる作業をすすめている。友人からの指摘はいろいろあって、直すのが面倒ではあるが、自分では気づかなかった点ばかりなのでありがたい。
具体的にどんな指摘があったかというと、
「ご存知」→「ご存じ」
「自由に語らせていただいた」→「率直に語らせていただいた」
など。
友人によれば、「ご存じ」という言葉は、「存じる」という動詞を活用させたものなので、慣用で使われている「存知」という表記は適切ではないとのこと。また「自由に語らせていただいた」という表現は、フランス語の「j’ai pris la liberté de dire」という表現(18世紀なのでややまわりくどい)を私が逐語的に日本語に置き換えたものだが、言われてみればたしかに「率直に語らせていただいた」の方が、日本語としてはスムーズでこなれている。
その他、脱字などもいろいろ指摘してもらい、プロの校正はすごいものだと感心した。
指摘されて全体を読み直しているうちに、これまで気がつかなかった誤訳にも気がついた。 細かい部分の表現がなめらかになると、こなれていないゴツゴツした表現が浮き上がってきて気になるもので、「おや、おかしい」とおもったら、不適切な訳だった。
たとえばそれはどういうところかというと、
「Et le moyen d’espérer tant de constance et de persévérance dans une fortune qu’on accuse avec raison d’être si légère, si volage et si capricieuse!」
という文章で、この文章を最初私は、
「正当にも、人々がとても軽薄、移り気、気まぐれだと非難している運命に、これほどの粘り強さと忍耐を期待する手段とはどのようなものなのでしょうか」
と訳していたのだが、「期待しているのは誰なのか」とおもって原文を読み直してみると、主語がない! そこで慌てて辞書を引くと、「Le moyen de+不定詞」は「~などできようか」という慣用表現とある。そこで訳文を次のように変更した。
「正当にも、人々がとても軽薄、移り気、気まぐれだと非難している運命に、これほどの粘り強さと忍耐を期待することができるのでしょうか」
これなどは、フランス語表現の奥深いところなのかもしれない。
と、それやこれやで、テクストの見直しが済み、本日は編集者と電話で細かい打ち合わせをする予定。
『ポーランド問題について』(仮題)は、出版に向けて順調に進んでいる。