本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

校正者はきらわれ者?

『精神について』の校正、きりのいいところまできたので、第二稿の担当者に送った。現在、章立てでいうと全体の約28%の進行状況で、ここまでで250頁(A5換算)あるので、本文全体では約900頁という計算になる。先週はアルバイトの有給を入れ、毎日朝から晩まで校正したのだが、量が多いので、やってもやっても、なかなか校正が終わらない。

それと失礼ながら、第二稿にはミスが非常に多い。

翻訳というのは、基本的に絶対的な正解はなく、一つの原文に対しいくつかのバリエーションが許されると私はおもっているのだが、送られてきた第二稿は、訳のバリエーションというより、どう考えても誤訳とおもわれる箇所がいくつかあり、そういう箇所にぶつかるたびにほんらいの校正作業がストップしてしまう。

私の校正の仕方は、原稿を日本語として読み、日本語としてあまり適切ではないとおもわれる表現を別の表現に変えていくというものなのだが、日本語として理解できない箇所にぶつかって、この日本語はいったい何を言いたいんだろうとフランス語の原文と突き合わせると、どう考えても原文を誤読しているとしか思えない文章が何度かでてくるのだ。

ちょっとしたところでも解釈が違うと校正がストップしてしまう

ともかく、そうした箇所があまりにも多くて憤慨しているので、実例をあげてみる(ここは、作品全体からするとどうでもいいようなほんの一部だが)。

 

「虚栄心に煽られて、凡庸な者でさえ、自分の分野では、誰も超えられないほど優れていると思い込む。才知のある人は、ランナーと事情は同じであることを彼らはわからない。彼らは仲間内で、奴は競技に参加しない、という。しかしレースで不具者や並の能力の人間では、その者に追いつけないのだ。」

 

2行目の「才知ある人」の述語はいったい何なんだろうか? この文章は日本語としておかしくないだろうか? そういう疑問を感じたので、原文にあたってみると、その次の文章はもっと問題があるように思えてきた。つまり、ここは原文で「Un tel ne court pas.」となっており、英語ならば「Certain person does not run.」という感じだろう。直訳すれば、「あいつは走らない」ということになる。で、ここから先は解釈の問題なのだが、第二稿の担当者は、これを「あいつは競技に参加しない」と解釈した。しかし私は、この原文を「あいつは遅い(=早く走らない)」という意味にとりたい。とはいえ、ここだけだと、どちらの解釈が適切か決定が難しい。そこで次の文章に読み進むと、ここはどうしても、「レース場で彼を待ち受けているのは、不具者や並の能力の人間ではない」としか読めない。そこで元の文章に戻ってみると、「レース場で人並以上の人間が待ち受けているので、(それに比べると)あいつは遅い」と言おうとしていることが見えてくる。第二稿はどうだろうか。「あいつは競技に参加しない」という解釈を守ろうとして、次の文章をゆがめているのではないだろうか。以上をまとめると、私の解釈(翻訳)は次のとおり。

 

「虚栄心に煽られて、凡庸な者でさえ、自分の分野では、誰も超えられないほど優れていると思い込む。才知ある人の事情がランナーと同じであることが、彼らにはわからない。彼らは仲間うちで、奴はのろまだという。しかしレース場で彼を待ち受けているのは、不具者や並の能力の人間ではないのだ。」

 

とまあ、第二稿とかなり変わったのだが、担当者はこれをどう読むだろうか。

校正という作業はしょせん他人のあら探しのようなもので嫌われやすいのだが、嫌われたら嫌われたでしょうがないと思っている。