本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

人形との心の交流、内田善美の『草迷宮・草空間』を読む

星の時計のLiddell』(集英社、1985年~86年)に続いて、内田善美のもう一つの代表作『草迷宮・草空間』(集英社、1985年)を読んだ。人間の心をもった市松人形とその人形を拾った大学生・草(そう)の話。「草迷宮(そうめいきゅう)」というタイトルからして、内田が泉鏡花を意識しているのは明らかだ。

人形とのコミュニケーションを描く『草迷宮・草空間

執筆期間(コミック誌への掲載期間)を記しておくと、「草迷宮」が1981年、「星の時計のLiddell」が1982年~83年、「草空間」が1983年~84年。したがって作品としては「草空間」が内田の最後の作品で、その後コミック掲載の「星の時計のLiddell」に加筆して単行本として刊行し、コミック界から消え去ったということになる。

さてその『草迷宮・草空間』だが、人形と大学生が会話し、一緒に生活するという物語なので、『星の時計のLiddell』と違って、最初から幻想のなかにどっぷりつかっている。ただし幻想といっても、客観的にみると、人形が話をしているように感じられるのは、持ち主・草の人形に対する自己投影ではないかとして描き、幻想を単なる幻想に終わらせていないところが内田作品の深さだとおもう。

また「草迷宮」は、草と人形のほかに、友人の時雨(ときふる)、草の憧れの女性あけみなどをからませたスケッチ風の作品なのだが、その2年後に『星の時計のLiddell』をふまえて書いた「草空間」は、人形を含めた各登場人物の内面にさらに踏み込み、また現実と幻想のギャップからくる笑いを自在にからませた奥行きのある物語になっている。

内田がさらに作品を書き続けていたとしたら、いったいどんな作品を発表していただろうかと嘆いても仕方がないのだが、どうしても嘆きたくなるとても完成度の高い作品だ。