今年の第166回芥川賞受賞作『ブラックボックス』の著者・砂川文次が気になって、まずはその前作『戦場のレビヤタン』(文藝春秋、2019年)を読んでみた。単行本『戦場のレビヤタン』は、中編小説「戦場のレビヤタン」(2018年)と「市街戦」(2016年)の2作を収めている。
著者の砂川文次は、大学卒業後自衛隊に入隊し、退官後に小説を書き始めたというキャリアをもつ。そのちょっと変わったキャリアが、私が彼に興味をもつきっかけになった。『戦場のレビヤタン』に収められている2作品は(そして先取りして言えば新作『ブラックボックス』も)、いずれも主人公が自衛隊に入隊中か退官しているという経歴をもつ。なぜ自分が自衛官になったのか、そこで何を感じたかが、砂川作品の最大のモチーフといっていいだろう。
しかしそれは「戦争好き」とか「愛国精神」といったものとは無縁で、意味なく続く大学生活やその延長でしかない社会生活に対する嫌悪が、一見ある目的性をもつように見える自衛官という職業を選択させたといえそうだ。しかし砂川作品を読む限り、彼がそこで見出したものは、自衛官としての生活も一般社会と同じようにルーティーン化されているという事実であり、それに気づいて彼は自衛官を辞めたのであろう。したがって砂川作品は、ルーティーン化された社会生活(およびそうした生活をおくる人々)に対する告発という性格を帯びる。
「市街戦」では、それが自衛隊の訓練と記憶の交錯という幻想のなかで表現され、「戦場のレビヤタン」では、イラクでプラントを警備する武装警備員のリアリスティックな日常をとおして表現される。
ゲリラの襲撃に備えた武器をもっての警戒のあいだに、「戦場のレビヤタン」の主人公Kはおもう。
「おれたちは日々殺されている。人によってはそれを搾取と呼ぶのだろうが、生も死も奪い取られ、巧妙に隠された状態を表彰することばを、おれは知らない。ただ、死だけは確かにある。救済としての死が。それは、自分で決められるものでもなければ、ましてや老いの先に静かに待っているものでもない。生きていない状態から脱出するためには、死を取り戻さなければならない。」(同書62頁)
文章が粗削りで抵抗があるが、それでも深く痛烈な生に対する問題意識が感じられ、読みごたえがあった。