本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

記述の古さを感じさせない新書版『戊辰戦争』

佐々木克戊辰戦争 敗者の明治維新』(中公新書、1977年)を読んだ。今年私が読んだ戊辰戦争関係の本のなかでは一番古く、その後のさまざまな本の記述の原点の一つになっていると考えられる本だ。執筆年代が古く、しかも新書なので盛り込める内容が量的に限定されているのだが、私には、古さも記述をはしょったような跡も感じられなかった。逆に、すぐれた歴史記述は、時間が経っても色あせないということを感じさせられた。

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鋭い問題意識で記述の古さを感じさせない『戊辰戦争

本書の特徴は、タイトルにもあるように戊辰戦争を敗れた奥羽越列藩同盟の側からみている点で、次のように、この戦争の意味、ひいては明治維新の意味を端的に問い直している。「奥羽越の列藩同盟諸藩は薩長両藩の専制に反対し、彼らが牛耳るところの維新政権の改造を要求し、さらに維新政権にかわる新政権を樹立しようと企てた」(本書160頁)。結論からいえば、戊辰戦争は、薩長を中核とする新政権が、会津・庄内を朝敵に仕立て上げ、両藩の殲滅を意図したところから始まった戦争ではないかというのが著者の見解ではないかとおもうが、私もそれに頷ける。会津・庄内に非があったのかは、今この小文では検証しない。そして朝敵とされた両藩が防衛のために臨戦態勢を整えたのはやむを得ないことだったとおもう。問題は、会津・庄内以外の奥羽越の諸藩が、この戦争には義がないとして同盟を結び、立ち上がったことだ。本書の力点はこのあたりの状況の解明にあるといえよう。同盟の中心となった仙台・米沢の両藩について考えれば、新政府に恭順の意を示し、新政府軍と一緒に会津・庄内を攻めていれば、藩の存続にかかわるような問題はおこらなかったはずだ。それを敢えて新政府に立ち向かったところに、奥羽越列藩同盟の意味はあるのだろう。ただ、同盟を結成したものの勝ための戦略に欠けており、会津戦線の敗北からあっけなく同盟が崩壊してしまったという、結果からみての批判はありうる。しからば、そもそも同盟はどのような戦略を立案すべきだったのか、勝利の見通しはあったのかというと、難しい。それでも本書は、敗者の論理についてあらためて考えさせる。