本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

日本の時代史~『開国と幕末の動乱』を読む

自分の翻訳の見直しがとりあえず一段落したので、日本史関係の読書を再開した。まずは、「日本の時代史」シリーズから『開国と幕末の動乱』(「日本の時代史」20、井上勲編、2004年、吉川弘文館)を読んだ。この巻は、ペリー来航(1853年<嘉永6年>)から明治維新直後までの激動の時代のできごとを扱っている。

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観念的な記述が目立った『開国と幕末の動乱』

さてこの巻も、すでに読んだ同シリーズの他の巻と同様、編者・井上勲による巻頭の概論「開国と幕末の動乱」と5篇の個別研究で構成されており、大河ドラマなどをとおして知っている歴史的事件についての断片的な知識が、ようやく一つにまとまったという感を受けた。

ただしこの巻は、これまで読んだ他の巻と比べると、全体的に記述が非常に観念的だ。それはまず井上勲の概論「開国と幕末の動乱」に強くみられ、徳川幕府滅亡にいたる過程を事実として詳しく紹介するというより、個々の出来事への幕府の対応が、言わば大義名分があり為政者の行為として正当化されるものだったのかの分析に比重がおかれているように思われる。つまり、井上の議論の進め方は、為政者としての大義名分を失った幕府が大政奉還し、その後実効支配力を失ったのはやむをえない出来事であったという風に読める。

また井上は、この巻の各論の一つとして「徳川の遺臣」という論考も執筆しているが、こちらも、そもそも遺臣とは何かという問いを冒頭にかかげ、中国に起源をもつ遺臣という概念からみて、幕府崩壊後の幕臣の行動はどのようなものと考えられるかという方向で議論が進んでいく。歴史の叙述というより、歴史を題材とした思弁という印象を受けた。

他の各論はというと、延広真治の「動乱の時代の文化表現」は、幕末から明治にかけて名人と呼ばれた噺家三遊亭円朝(1839年<天保10年>~1900年<明治33年>)とゆかりがある『怪談牡丹灯籠』と『鰍沢』を先行作品と比較するという研究だが、ただ事例をたくさん掲げているだけで、私には意図が理解できなかった。

逆におもしろかったのは、山室信一による巻末の研究「明治維新とアジアの変革」で、こちらは、主に中国と朝鮮で明治維新がどのように受け止められ、それがそれぞれの国の変革とどのように結びついていったかが紹介されている。

この問題は結局、明治維新を西洋文明を自国に取り入れるために必要な変革ととらえるのか、体制変革そのものとしてとらえるのかということになるのだが、このため清でいうと、体制側と反体制側では評価のポイントが変わってくるということがまず指摘される。また明治維新をとげた日本が中国留学生を受け入れ、結果として彼らが先頭にたって辛亥革命を進めていったため、この問題は、静的なものではなく、相互浸透的なダイナミックな問題であることも論じられる。

山室は自身の論考を次のように結んでいる。

明治維新が海を越えてアジア諸民族の独立運動に影響を与え、中国における一連の変革運動に大きな影響を与えたことは否定できない。そして、辛亥革命の報が翻って日本に伝えられるとそれが大正デモクラシー運動への刺激となって第二維新としての大正維新が唱導され、『大正の維新は、ある意味において実に第二の辛亥革命なり』ともいわれた。(中略)このように、明治維新に向けられた様々な眼差しに焦点を当てるとき、そこに変革の連鎖そして緊迫した相互交渉としてのアジアの近代史が浮かび上がってくるのである」(同書306~307頁)。

こうした山室的な分析視覚が全編に及んでいたら、本書はさらに興味深いものになっていただろうと惜しまれる。