本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

フェラーリア・ウンキナータが発芽

南アフリカに自生するアヤメ科植物フェラーリア・ウンキナータ(Ferraria uncinata)の種が発芽した。この種は、オーストリアの種苗会社から取り寄せ10月9日に播いたもの。発芽まで約1カ月かかったことになる。ちなみに私は他に10種類ほどの種をオーストリアから取り寄せて同時に播いたのだが、現時点で発芽したのはこのフェラーリアのみ。すべて同じように播いて水をやっているだけなのだが、発芽はまちまちで、栽培は難しい。

10月9日に播いたフェラーリア・ウンキナータが発芽した(左端)

フェラーリアは、同じく南アフリカに自生しているモラエアに近縁の植物で、春に星形の花が咲く。モラエアよりは花も草丈も大きく、6枚の花弁の縁がチリチリと波打っているのが特長で、花の形はとても繊細だ。このうちもっともポピュラーなのはフェラーリア・クリスパで、晩春に神秘的な黒い花を咲かせるが、蝿によって受粉するので、蝿好みの腐った食品のような悪臭がある。黒ユリも同じように悪臭で蝿を引き寄せるので、黒の色素にそういう成分がふくまれているのだろう。この悪臭のせいか、フェラーリア・クリスパはあまり普及していない。

元気がいいフェラーリア・クリスパ

しかしフェラーリアには緑や青の花を咲かせる他の品種もあると知ったのは最近のことで、それ以来、少しずつ栽培品種を増やしている。これまで栽培していたのは、上掲のクリスパのほかにフェラリオーラ(ferrariola)、デンセプンクトラータ(densepunctulata)で、それに今年からウンキナータが加わった。

フェラリオーラ(左と中央)とデンセプンクトラータ(右)

クリスパ以外は、球根が小さいためまだ花が咲かないが、成長がたのしみだ。

小さなラケナリア・プシラが開花

小さくてほとんど目立たないが、ラケナリア・プシラ(Lachenalia pusilla)?が開花した。キジカクシ科で、南アフリカケープタウン付近に自生。

小さなラケナリア・プシラが開花。雄蕊だけがよく目立つ

突き出している雄蕊の長さは約5mm。個々の花は細長いのだが、その基部から雄蕊の先までも1cmくらいしかない。花弁(花びら)はほとんど退化しており、雄蕊だけがよく目立つ。南アフリカの植物では、ヒガンバナ科のブルンスヴィギアにも花弁がほとんど退化しているタイプがあり、ラケナリア・プシラの花弁が退化しているのは、気候や受粉が関係しているのかもしれない。ラケナリアの大半は春に咲くが、秋に咲くという点でも他のラケナリアとは性質が異なっている。

ただし手持ちのGraham Dunkun監修の図鑑(キュー・ガーデン発行)に載っているラケナリア・プシラの葉はもっと幅広く、もしかすると現在開花している寓居のラケナリアは、プシラと近縁のバルケリアナ(barkeriana)かもしれない。バルケリアナの自生地は、プシラよりも北。もっとも、私がいつも参照しているPucific Bulb Societyのサイトには、ラケナリア・バルケリアという項目はなく、私が栽培しているような葉が細長いタイプもプシラに含まれている。このあたりは、分類そのものがまだはっきり確立されていないということなのだろう。

ちなみに、種小名の「pusilla」は、ラテン語で「ごく小さい」という意味。

痛風の検査で病院に行く

今日は寓居の近くの総合病院に痛風の検査に行ってきた。

私にはじめて痛風の症状が出たのは、9月下旬。それまでなんともなかった足の親指の付け根が突然痛くなったのだが、原因がわからないので、アルバイトが変わって一日中立ったり動き回ったりしているための筋肉痛かとおもい、アルバイトから戻ってから、リラックスするために夕食でビールを飲んだり、風呂で足の付け根をもみほぐしたりしていた。それでも痛みは引かず、9月22日、猛烈な痛みで歩くのも難しくなり、アルバイトを早退して病院に駆け込んだ。

ここで「痛風」と診断され、痛み止めをもらって様子を見ることになった。

それからネットで痛風の原因を調べると、これは生活習慣(主に食生活)が乱れていることからくるもので、アルコールなかでもビールは一番の悪玉、また患部を温めるのは良くないとあった。なぜ足が痛いのか分からず、私は良くなるのとは逆のことをやっていたのだ。でもこのため痛みがひどくなって病院に行き、痛風と診断されたということから考えれば、不幸中の幸いで、ビールと風呂も役に立ったと考えられなくもない(笑)。

痛風の検査で近所の総合病院に行った

その後痛風についてさらにいろいろ調べてみると、肉も魚もダメ、アルコール(特にビール)はダメ、甘いもの(フルーツを含む)もダメとある。良いのは、野菜、豆腐、卵などで、これだと毎日精進料理にしなくてはならない。

しかしアルコールはともかく、肉と魚はまったく食べないというわけにもいかないので(特にアルバイト時の昼食はメニューが限られているので肉・魚なしは不可能に近い)、痛風に悪いプリン体を増やす食品やアルコールをできるだけさけて様子をみていたところ、9月末には痛みも緩和され、本日の再検査となった。

医師が言うには、「痛風の直接の原因である尿酸値はだいぶ良くなった(とりあえず基準内)」とのことだが、血液中のクレアチニン(老廃物の一種)値が基準より高く、腎臓の機能が弱っているらしい(9月より高くなっている)。とりあえず薬を処方してもらい、来月再検査することになった。

生活習慣(食生活)を急に変えるのは難しいが、痛風がひどくなるといろいろな疾患も出てくるという。自分では気がつかなくても、年齢からくる身体全体の衰えも原因の一つだろう。ということで、ともかく肉と魚の摂取量を減らし、アルコールも少し加減して、やっていくしかない。

キルタンサスを室内にとりこむ

本日は、キルタンサス(Cyrtanthus)の鉢植えを室内に移動させた。

キルタンサスは南アフリカに自生するヒガンバナ科の球根植物。名前は曲がった花という意味で、キルタンサスのなかでも早くから知られた「マッケニイ」が筒状の曲がった花をしていることからきた名称だ。キルタンサスのなかには、ラッパ状の花をつけるタイプも多い。花の形は変異に富んでいるというべきなのだろう。

室内にとりこんだキルタンサスたち

自生地は割と広いが、大半は南アフリカの東部に自生している。

南アフリカは海流の関係で西部と東部では気候がまったく違い、南極からのベンゲラ海流(寒流)が沿岸を流れる西部は、秋から冬にかけて雨が降り、冬と夏の寒暖差も大きい。これに対して東部は、インド洋からのアガラス海流(暖流)が南下してくるため比較的温暖で、春から夏にかけて雨が降る地域が多い。

このためケーブバルブと呼ばれる南アフリカに自生している球根植物は、西部と東部でまったく違う育て方をしなくてはならないのだが、キルタンサスは上に書いたように東部に自生しているので、寒さ対策と雨季と乾季のメリハリをつけるため室内にとりこむことにした。このあたり、育て方は手探りだ。ちなみに、同じくヒガンバナ科のクリヴィア(君子蘭)もキルタンサスと自生地が近いので、基本的には同じような栽培方法が良いとおもわれる。

春先に開花するマッケニイは戸外で管理

ただキルタンサスのなかでも最初にあげたマッケニイは、他のキルタンサスと違い秋から冬にかけて生長し、春先に花をつけるようなので、とりあえず戸外に出したままにして様子を見ている。

放置していた寒蘭が開花

日本に自生する東洋蘭の一種でシンビジウムの仲間の寒蘭(Cymbidium kanran)が開花した。自然状態で晩秋から冬にかけての寒い時期に咲くので「寒蘭」という和名がついているが、学名もそのまま<Cymbidium kanran>という。

寒蘭「紅更紗」が開花

わが家の植物栽培は、南アフリカの球根植物がメインで、寒蘭は、どうしてもついでに育てているという感じになってしまうのだが、そのせいか、なかなか咲かない。球根植物とは、日に当てたり水をやったりする時期が違うということは分かるのだが、そのタイミングが難しいのだ。

今年に関しては、翻訳作業があまりにも忙しく、夏から初秋にかけて日陰に置いて水も天然の雨に任せて放置しておいたのが逆に良かったとしかおもえない。見事に咲きそろった。

品種名は「紅更紗」で、すっきりした美花だ。

翻訳の校正が終わってほっと一息

4月から取り組んでいた『精神について』の校正が本日ようやく終了した。

途中、アルバイトの退職&職探しや、もう1冊の本『ポーランド問題について』の出版作業などがあり、結局、校了まで6カ月強かかったことになる。やれやれだ。

翻訳の校正が終わってほっと一息

今月中旬に出版した翻訳作品『ポーランド問題について』の方は、完全に自分の本なので、自分の判断で好きなように文章に手を入れて校正できたのだが、『精神について』はもう一人翻訳者がいて共同作業なので、校正といっても完全に自分のおもうようにはならない。だいいち、「精神(esprit)」というキーワードそのものをどう訳すかで、私と共訳者では考えが違うところがあって、今回の校正はかなり難航した。

それでもともかく、本日共訳者に校正を郵送し、合わせて、古都の大学の編集者にも校正が終わったことを連絡した。

今回の校正は、明らかな誤訳やどうしても気になる箇所に手を入れただけなので、出版するとなると、おそらくもう一度校正が必要だとおもう。それを誰が行うのかなど、実際の出版まではまだまだいろいろ面倒なことがありそうだが、ともかくこれで一山超えたという感じで、ほっとしている。

親しくしていた女優の墓参りで下田に行く

昨日は2018年(平成30年)10月27日に亡くなった女優Eさんの命日。伊豆の下田八幡宮内にあるEさんの墓にお参りに行ってきた。

Eさんは1942年(昭和17年)生まれ。私とちょうど一回り歳が違う。かつては大映の看板女優で、一番忙しかったときは、一年に7回シリーズ物の作品に出演していた。また、大映倒産後はフリーで映画やTVで活躍していた。世界が違うというか、普通にはとても知り合うことができないような人なのだが、たまたま知人をとおしてEさんと知り合った。ただし、特に親しくなったのは最後の10年ほど。取り巻きを嫌っていたし友達も少なかったEさんと、一緒に芝居やコンサートに行ったり、家が近かったのでたびたび食事や買い物もした。

大映の看板女優だったEさん

そんな私が最初に下田八幡宮を訪問したのは2018年の春(たぶん4月)。

この時Eさんから、母のお墓参りに行きたいけど、一人で行くのも大勢で行くのもいやなので一緒に行って欲しいと頼まれ、下田に同行した。この時点でEさんはとても元気で、まだまだ仕事をするとはりきっており、夏に京都でNHKのBSドラマの撮影をしたりしていた。東京に戻ってからも引き続きいろいろな仕事をこなし、まだまだ頑張りたいとジムに行って運動をし過ぎたのが命取りになった。ジムから戻って数日後、呼吸困難になって入院し、そのまま数日で息を引き取ったのだ。

下田八幡宮にひっそり眠っている

大げさな葬儀はして欲しくないというのがEさんの意志で、10人ほどでうちうちで葬儀をしたのだが、まさか春にEさんと一緒に行った下田の墓所に、その年のうちに今度は納骨に行くとは、まったくおもっていなかった。

親しくしていただいた縁があるので、可能なかぎり墓参を続けたい。